国の平安と
民の幸せを願う

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平安時代はじめ

願成寺の山号
「阿保山(あぼざん)」は
平安時代初期
桓武天皇の第一皇子であった
平城天皇の 長子・阿保親王
(歌人として名高い在原業平公の父君)
に由来します。
願成寺はもと願成就院と号し、
阿保親王が
国の平安と民の幸せを発願して
建立された寺院です。

開基 阿保親王

当山の開基・阿保親王は数奇な運命にもてあそばれた悲劇の皇子でした。親王の父・平城天皇は弟・嵯峨天皇と皇位をめぐって争われ、親王もその争乱に巻き込まれ、太宰府へと流されました。この事件「薬子の変(くすこのへん)」として歴史に残る大事件でした。
しかし親王の苦悩はこの事件だけにとどまりませんでした。その後三〇年余を経て再発した嵯峨天皇系と淳和天皇系の皇位争いである「承和の変(じょうわのへん)」に再び巻き込まれ、親王は心痛のあまり門を閉ざして出ようとなさらず、西暦八四二年、五一 歳でお亡くなりになりました。

才能豊かで
胆力があり
情にも篤く

親王は才能豊かで胆力があり情に篤いお人柄でしたから、時至れば大きな仕事 をなさったことでしょう。
残念なことに、 まだ政治の基礎が不安定であった平安時代初期という時代に天皇の長子という身分にお生まれになったため、政治に翻弄され無念のうちにご生涯を終えられたのです。
時の朝廷は親王を丁重に扱われ、最高位である「一品(いっぽん)」の位を贈られました。